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2008.08.07 至福のとき
幸福時光
2002年 
原題:幸福時光


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舞台は中国の近代都市・大連。
結婚相手を探している失業中の独身中年男・趙相は
交際のために「旅館経営者」と嘘をついたことから
見合いをした女性の家に住まわされていた盲目の少女を引き取り
面倒を見ることになるのだが…
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李雪健祭り…というか、まあ祭りというほどでもないんですが、
その出演作繋がりということで観ました。(←定型文ここまで)
監督はまたもや張藝謀(ちゃん・いーもう)であります。
現代の中国を舞台に、とある一組の男女(擬似的な父娘関係)を通して
人間の嘘と真実を時に真摯に、時にコメディ調に描いた人間ドラマです。


で、感想ですが、
いや~、なかなか面白かったです。
面白かったというか、良い映画だったというか。
以前「満城尽帯黄金甲(原題:王妃の紋章)」を観た時に
まやさんが「張藝謀は大金を使わせたらダメだ」といったようなことを仰っていたのですが、
なるほどなーと納得してしまった(^^;
(いや、「黄金甲」は「黄金甲」で、私はそれなりに楽しかったですが^^;)


もういい年なのに添い遂げる相手を見つけられない趙相の孤独感、
そして好きになった女性の気を引くために懸命に嘘を考えて
愛想の悪い少女を世話しようとする必死っぷり、
かといって底にある人の良さのおかげで結局悪人にはなれずに
人情に流されてしまう微笑ましさ、などなどを
おはなしとしてはそれなりにどっしりとした人間ドラマなのですが、
軽妙な語り口でコミカルに退屈することなく見せてくれました。
なんか何だかんだで中国映画もいくらか数を観てきた気がするんだけど、
ここまで現代劇はぜんぜんはずれがないな~。



そして李雪健のいじられっぷりにもクソワロタ。



この人なんで何やっても可笑しいんだろうか。
八の字眉といい無邪気なニコニコ顔といい、見るだけで噴きそうになる。


歩き方も相変わらずテクテクして変だし…
だいたいこの白Tに半ズボンってスタイルからして確信犯的だよなぁ。


普通に寝そべってるだけなのにワラエルってのは反則だ。


もー大好き(笑)


以下ネタバレ↓
・そのまま流れで先に李雪健関係だけ書いておくか。
やっぱ、ともすればシリアス一直線に行きかねない本筋において
その辺を緩めるコメディ要素の結構な部分をこの人が占めてたな。
こんな顔して子持ちだったり、
計画に加担してるくせに騙すのは嫌だとか言ってる中途半端な人の良さがあったり、
「バッチリだった」とか得意顔で実はうっかりで本物のお札渡してきたり、
そのことをみんなにからかわれてヘソ曲げたりと
ともかくこの小男の得意げな顔を見てるとニヤニヤが止まらん(笑)
最後の場面も同僚の人たちみんな病院にかけつけてるのに、
なぜか一人だけいない(笑)
(コイツ以外他の連中みんな独り身っぽいから、そのせいかも知れんな。)

+++++++++++++++++

・「嘘」の物語がずっと続くのだけど
実は小穎は途中から気付いて、わざと騙されていた…というのが
観ている側にも割と普通にわかるように
物語の運び方自体は平易なんだけど、
それでもなんというか、しみじみとした余韻が最後に残るのは
道路での目を瞑った二人の触れ合いの場面とか、
なんだかんだいってつきあいのいい職場仲間とか、
そういった数々の人間模様を丁寧に描いているからだろうな。


・趙相はあんなことになってしまって、
もし回復したとしても
とても治療費は払えないだろうし、
結局一人のままなわけだから
決して将来は明るくはない。

小穎にしても、
按摩が上手いというのは確かなのだろうけど、
盲目の少女で按摩とくれば
よっぽどうまいこと行かないと
危ない方向に行きそうだ。

つまり結局、嘘、夢の世界を飛び出しても
先に待っているのは必ずしも明るい未来ではないのだ。


・それでも、小穎は最後に
現実に踏み出すことを選択した。
確かに見えるものは嘘で塗り固められてはいたのだけれど、
「思い」が嘘であったかというと、そんなこともないのだ。


・実際、小穎は「みんなは私のためにやってくれた」と思っていて、
それもまるっきり間違いというわけではないのだけど、
とりあえずみんなが小穎を引き止めていた
(小穎に「自分が必要とされている」という実感を与えていた)
その動機となっていたのは、
「小穎に自殺でもされると自分たちがヤバくなるから」という
利己的なものが大部分を占めているんだよね。
(もちろん、まるっきり小穎自身のことは
別にどうでもよかったというわけでもないんだろうけど。)

・だからといって、
それでは、小穎の勘違いというのが
まるっきり無為なものなのかというと
そういうことでもなく、

・表現するのが難しいんだけど、
要するに受け取り手の思い(信じるもの)次第で
言葉や行いというものは力(原動力、燃料)になるわけで、
それでいいじゃないか。
現実とはそういうものだ。

というメッセージなのではないでしょうか。
このおはなしが言おうとしていることは、
つまりそういうことかなと感じた。

・単純に「女の子かわいそうだからみんなで助けてあげよう」という話ではない、というのが、
良いんだよね。

++++++++++++++++++

・テープレコーダーをちょっと便利に使い過ぎというか
最後にぜんぶアレに語らせてしまうというのは
なんとも野暮ったい感じはあるのだが、
とはいえ、趙相が気を回して手紙を代筆するまでもなく
「思いそのもの」はきちんと伝わっていたということ
それを表現するにはあれがベストな方法だったのかな。
この辺の表現的な泥臭さというのも
また味なのかも知れん。

趙相は舞台から退場してしまったのだけど、
小穎はそのことも知らず、温もりの思い出を胸に前へ進んでいく。
これもまた現実の無常さというものなのかな。

 
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