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功夫之王
2008年 アメリカ
原題:功夫之王 / The Forbidden Kingdom


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伝説の如意棒と共にアメリカ・ボストンから不思議な世界へと飛ばされた青年ジェイソン。
彼は危ないところを酔拳の達人ルー・ヤンに助けられ、共に如意棒を孫悟空の元へ返す旅に出た…
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(めんどいのであらすじは引用しました)


原題、つーか英題「禁断の王国」がなんでドラゴンになるんだろう。
やっぱジャッキーだからドラゴンにしとくか、みたいな安易な決め方ですか?
あとフォビドゥンだと字面も語感も悪いから、みたいな?
なら普通に原題通りに功(以下、長々と愚痴が続くので省略)


というわけで観てきました。
とりあえずネタバレヌキの感想ですが、
うーん、やっぱりストーリーには期待してはいけない映画でした、という感じでしょうか。
その代わり、アクションは凄かったです。
ジェット・リーやジャッキーに特に思い入れはない私が観ても、
うおー、これはすごい、と感心するようなアクションがてんこもりでした。

てなわけで、武侠もの好き、功夫もの好きなら
とりあえず観ておいても損はしないという感じでしょうか。
なんか良くも悪くも、めりけんの作った武侠もの(功夫もの)というか、
「武侠(功夫)ものが好きなアメリカ人」が作った映画だなーというのを、強く感じました。
「ラスト・サムライ」という映画は、日本の侍ism(と表現してしまって良いものか)
つまりブシドーやらサムライやらに憧れたというか、
そーいうものが好きなアメリカ人が作った映画だったわけなのですが、
そういう点からいうと、この映画と良く似ているなーと。
「好きで作った」ってのはわかるんですけど、
やっぱ肝心なところがズレてるというか、ポイントをつかめてない、
「それがそれである所以」というのをわかってないよなぁと感じるのも同じでした(^^;

まあ、単純娯楽として、頭をほとんど空っぽにして
目の前のアクションだけを楽しむ分には
話のネタとしては十分な映画ではありました。


以下ネタバレ。
・要するに、この映画というのは、
A:現実世界から逃避した主人公が
非現実での体験を経て精神的成長を果たし、帰還する
という、いわゆる古き良き冒険ものとしての物語



B:とりあえず豪華キャストによるアクションを楽しむ

の二つの面があるわけでして、
たぶんBのほうを目的にして観るのが正解なのでしょう。

そう考えれば、多少の話の上での突っ込みどころなどは
スルーできるというか、
むしろそんな真面目な突っ込みをすること自体、野暮というものなのだろうけど、

観ている最中にはいろいろ腹に溜まったというのも事実ですので、
ここでは敢えて野暮を承知の上で突っ込みたいと思います。


+++++++++++++++++

・だいぶ言いたいことが多いので、まず主人公について。

そもそもこのお話が、いちおうは
上に書いたような主人公の成長物語としての体裁を取っている以上は、
物語開始の時点において、主人公がマイナスの状態にあるというのは
ある程度は必然的ではあるわけです。

・んが、その割には、ちょっとあんまりなことが多すぎる。
まずカンフーものや武侠ものなんかが好き、その道のオタのくせに、
「義侠心が全くない」
これは、ちょっと、どうかと思うんですよね(^^;
「カンフーものが好き」なくせに、
そういった映画で描かれるような「好漢たるもの、こうあるべきだ」と示されている生き様が
何の身にもなっていない。

悪ガキどもに、力で圧しつけられて刃向かうことができない、ってのならいいんですよ。
いいんですが、なんか全く抵抗もしないで、されるがまま
それどころか、そのことに他人を巻き込むってのはどうよ?
しかも赤の他人ならともかく
巻き込まれた質屋の爺ちゃんというのは
自分にとって恩人というか、友人といっても良いわけで。

それって、武侠もの的には、無しだろ?!
というわけで、まず最初に全く主人公へ好感が持てませんでした。


・しかも、この「主人公の手引き」で、
強盗に踏み入った悪ガキどもが
質屋の善良な爺ちゃんを射殺してしまう(結果的には助かったことがわかったとはいえ)
というこのプロット。

そりゃ確かに物語の体裁として、
すでに何度も書いた通り
「最初に現実の圧力に屈する主人公」
  ↓
「異世界での経験」
  ↓
「成長」
というプロセスを描くというのはわかる。

しかしそれにしては、あまりにも生々しいというか、イヤな話すぎる。
はっきり言って、かなり「洒落にならない」事件ですよね。
そして、そういった洒落にならない事態の引き金を作ったのは
ほぼ直接的に主人公のせいというのがまた
主人公への感情移入、同化を妨げることになっている。
(私は爺好きですので、この段階で一気に気分が萎えました。)

要するに、もう少し当たり障りのない障害にしておいて欲しかったってことですかね。
それこそ、これまでに「ネヴァーエンディングストーリー(原作「はてしない物語」の
エッセンスを無視した映画版はクソですが、とりあえずシチュエーションの例として)」や
「ベストキッド」なんかであったように
適当にいじめられっこにいじめられるとか、
好きなおにゃのこの前でみっともない真似をさらすとか、
そういう程度にしておけば良かったんだよなー。
どうせいまさらベタなのはわかりきってるんだから(笑)

++++++++++++++++++

・で、どうもその後の成長のプロセスについてなんですが、
これがまた、成長物語としては弱すぎるというか、
なんか結局主人公の乗り越えるべきテーマというのが
いまひとつはっきりしていないんですよね。

結局主人公がやったことって
ほとんど状況に流されてただけという感じがとても強いです。
確かに修行して強くなったことは強くなったんだけど、
それって本当にただ「強くなった」だけで、
あんまり内面的にはほとんど変わってないというか…(笑)

あれですよね、この手の成長物語では必須の
「決断を迫られる場面」ってのがないからか。
そのせいだな。

途中の如意棒を持っていく場面でも
わざわざあと二日間待てばチャンスが…って言ってるのに
結局独断専行して事態を悪くしただけだしな…


・まあ要するに、なんでそういう片手落ちなのかというと
その理由は明らかなわけで、
観客は誰も主人公の成長なんかみたいとは思っていないというか、
ぶっちゃけジャッキーやジェット・リーが観たいと思って来ているんだから、
単純にそのニーズに応えたってことなんだろうけど(笑)

・しかし、それはそれとして、
そのことと、物語としての完成度
これをもうちょい両立させられなかったのかというと、
決してそんなこともなかったんじゃないか
というのは思うのであります。

+++++++++++++++++++++

・主人公について文句を言いたいことは他にもたくさんありまして、
そもそもカンフーオタのくせに、
武術を教えてくれる相手を「師父(master)」と呼ばないのはどうなんだよ?
とか、
包拳もしないのはどうか
とか
こちとら日常生活でも包拳できる機会を探してウズウズしてるってのに)、

そもそもあんな状況に放り込まれたのに
「I wanna go home(私は家に帰りたいです)」しか言わないってのはどうか。

自分の憧れていた世界に来れたんだから、
喜び勇んで冒険にGO!っていう反応が自然だと思うんだが、
そうならない時点でおかしい。
おはなしの流れとして、
憧れの世界に来れた!
だけど何かで挫折して、現実を知って、
で、そこから成長→帰還というプロセスを経るべきじゃないか?


・結局、これまた繰り返しになるのでいい加減終わりにするが、
全編通して、主人公がぜんぜん成長してない。
義侠心も特に身に付いたりはしていない。
師父に対する礼儀もなし。
結局最後までなし。

そもそも精神的な交流がぜんぜん描かれていないので
(イーフェイとの申し訳程度のロマンスっぽい雰囲気くらいのものか)、
最後にこの世界から帰らないといけないという別れの場面でも感慨もなし。
(普通、もうちょい別れたくないとか、残りたいとか、
そういう離別に際しての葛藤や寂しさがあるものじゃないのか?)
現世に戻っても、結局どう成長したのか
功夫以外にみられない。

・主人公はずっと師父のことを「teacher」って呼んでたが、
これってつまり、あれなんだろうな。
東洋的な、武術における師弟関係(絶対的な上下関係の間柄)って、
奴ら(めりけん連中)にはもしかして、感覚的に理解できないものなのかも知れないな。


++++++++++++++++++++++++++++

・ジェット・リーの黙僧は良かった。
唐突にオシッコとか、いきなりバカ笑いとか、
そういうおかしいところがあったのも
孫悟空の分身のひとつだったためと考えれば納得だ
動きも格好良かった。
やっぱさすがでした。

・ジャッキーは、なんか酔拳の師父(蘇化子)のキャラクターがモチーフってことだったのに、
ほとんどそれが見受けられなかったのは残念だ。
なんか結局酔拳も最初のシークエンスで使っただけだったし…
まあいつもの(役者自身の)動きのほうが慣れててやり易いってことなんだろうけど。

あとold man(年寄り)って言われてたのに、
ぜんぜん年寄りには見えなかったのもちょっとがっかりだ。


・金燕子は
正直、どのへんが金燕子なんだか

まあ確かにもともと金燕子自体が
そこまで特徴のあるキャラクターではないんだが、

結局短剣二本使うってことくらいじゃね?
という感じであった。

・江湖でいろいろ物議をかもし出しているっぽい
一人称が三人称(Iとかmeではなくて、Sheとかherを使っている)という点については、
たぶん家族の復讐に生きている(自分を捨てている)ということを
表しているのではないかと思われますが、どうでしょうか。
だからこそ復讐が済んで最期の時には一人称に戻ってたわけだし。

まあ、設定として特に必要だったのかといわれると
それはまたどうなのかという話ではあるんですが。

・あとやっぱ自分はあんまりイーフェイは好きではないな、というのは
再確認した。


・しかし金燕子の復讐についても、
「復讐は虚しい」とかいうことを黙僧に言わせておきながら、
結局最後は主人公、思いっきり「金燕子の復讐」として将軍を殺しているのには笑った。

・つーか、主人公でまた思い出したけど、
コイツ、現代人のくせに
戦闘になって敵を普通にザクザク切り殺しても
何の葛藤もないのな(笑)
うーん、やっぱ片手落ちだよなぁ…
(それこそこの辺でジャッキーやら黙僧あたりに説教させて
主人公の内面的成長について掘り下げられる要素は十分にあった。)


・李冰冰の白髪魔女は良かったですね。
ちょうど最近の「八大豪侠」の記憶が新しかったので、
そして私は割とこの人は好みの顔なので
今回の白髪魔女としてのドSっぷりを楽しめました。
情けない主人公をドゲシと踏みつけるところは
逆に拍手喝采を送ってしまいました(笑)
なんかムチを捨てた後は
戦い方が九陰白骨爪ちっくでしたが…

+++++++++++++++++++

・最後に字幕についてだが、
やっぱり林完治って、私はどうにも嫌いだな、と。
スターウォーズ旧三部作の特別編での仕事が妙に絶賛されて
この手のコアなファンが多いようなジャンルは完治がいい仕事をする、みたいな
風潮があるみたいなんですが、
コイツ、意外とぽろぽろ誤訳もやるんですよね。

今回も一箇所特に気になったのが、
如意棒を持ってきた主人公への
ジェイド将軍の台詞
「The man who honors his master honors him」

「師を尊ぶ者は己を尊ぶ」とか訳してましたよね。

要するに、元の台詞の意味としては、
師を敬う、尊敬することによって、
自分自身がそういう人物であるということが相手に伝わり
結果的に(相手からの)自分の評価を高めることにもなる、
ということなのですが、

後半部分を「己を尊ぶ」とか訳してしまうとわけがわかりません。

こういう「字幕はどうせ字幕なんだから、原語のニュアンスは削ぎ落とされて当然なんだよ」
というような字幕を作るのが、林完治という字幕翻訳者なのであり、
確かになっちレベルよりはまだマシとはいえ、
正直、もっと完治は批判されて然るべきだと思う。
なっちほどじゃないけど、知らないことについて
あんまり調べたりということもそんなにしないし。
(今回だと「金雀子」とか「翡翠帝」とかがだいぶ噴飯ものだったな。)

なんだけど、実際にはなっちがひどすぎるので
結果として完治がもてはやされているというのが現状なんだよな~。
うーん、なんだかなぁ。

 
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