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Balzac et La Petite Tailleuse Chinoise
2002年 フランス
原題:Balzac et La Petite Tailleuse Chinoise


原題の意味は「バルザックと小さな中国人のお針子」。
名は体を表すというか、まあそのまんまですね。
バルザックというのは劇中に登場するフランスの作家です…って、
一般常識レベルか、これは。

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1970年代初頭。
文化大革命によって知識層が弾圧される背景の中、
二人の少年、ルオ(羅明)とマー(馬剣鈴)が"再教育"のために
山奥の貧農・下層中農の村へ送られてきた。
知識に飢えながら過酷な肉体労働の日々を送る二人が
ある時出会ったのは、一人のお針子の少女だった…。
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いやはや、これは泣いてしまいました(^^;
映画を観て泣くということは滅多にない私Manboなのですが
(といいつつしょっちゅうこれ↑言ってる気もする)、
うーん、やっぱりこういうのには弱いなぁ。ヤラレタ。

文革(知識の弾圧)という、かなりアレな状況における
きつい暮らしを体験する主人公たちを通しての、
人にとって知識とは何なのか、という問いかけ。
それから、そういった若い時に過ごしたかけがえのない時間、思い出。
映画の柱はこの二本です。


映画を観るきっかけとなったのは、
まずタイトルにもなっているお針子の少女、ヒロインが周迅だったということです。
(このブログを観ているような人なら説明不要ですが、「射雕~」の黄蓉ね)
周迅は、実に良かった。というか、可愛かった。

山村でずっと生まれ育った無学で朴訥な少女をまさにそのままピッタリ演じていました。
年頃の男二人に囲まれてもぜんぜん無防備な様子が、それっぽくて良かった。
こんなに凄い周迅をあんな使い方しか出来なかった「夜宴(邦題:女帝)」は
やっぱりダメダメだな。

すいません、話が逸れましたm(_ _)m
で、周迅のほかにもう一つ
そのお針子のおじいちゃんというのが仕立て屋さんなんですが、
この人が今放映中の「笑傲江湖」で曲洋のおじじをやっていた叢志軍さんなんですね。

普通なら周迅だけで十分なはずなんですが、それだけでは足りず
こういう人が入ってようやく鑑賞ゲージがランプ点灯するのが、この私なのでした(爆)

そしてこのおじじもまた良かった~@@

ネタバレ項目に分けて書きますが、期待していた以上に良かったわ。
もう可愛いのなんのって@@
この映画、日本語公式サイトの「キャスト&スタッフ」のところから
各キャストのインタビューが見れるんですよね。
で、この方のインタビューも載っていたのですが、
なんつーか、まさにこの映画のような時代というのを
リアルタイムでくぐってこられているわけで、
実に含蓄のある内容となっておりました。
これはぜひ一読をオススメしておきます。
やっぱりこういう立派な爺様は尊敬に値するね。心から佩服(-入-)です。

あとこの映画は、題材と言葉は中国語ながら
いちおう映画としてはフランス映画なわけですが、
このインタビューを読むと、やっぱり中国の映画撮影環境って
演員の皆さんにとっては、かなりアレなんだな~(^^;
ということが行間から伝わってきて苦笑してしまいました。


てなわけで、まとめですが
・周迅好き
・曲洋のおじじにハートを撃ち抜かれた
・スタンド・バイ・ミーみたいな、昔の思い出(青春群像)系の話が好き
・文革やらその辺の時代背景に興味がある
・フランス文学好き

この辺に該当する人はオススメ。
中国映画っぽいですが、フランス映画なので
前者に見られるような(良くも悪くも)詰めの甘さやスキといったものはないです。
さすが、というべきか、かなり丁寧に作られておりました。
いや~、いい映画でした。


↓以下ネタバレ


・純粋に映画として良かったと思う部分と、
おじじが可愛すぎてどうしようかと思う(よこしまな)部分の
二つが共存しておりました(^^;

・てなわけで、まず先に後者のほうを吐き出しておくか。
いや~、なんつーか、もうたまらんですね、このおじじは。
公式サイトの中の人ご本人のインタビューでもお茶目っぷりについては言及されていますが、
しもべたちにかつがれて「ばいおり~ん!」とかシャウトする序盤から始まり、
孫娘のブラジャー姿を見てアワワとなり
孫娘を変な道に引き込むなと悪い若者たちを注意しに来たり、
そのついでに手に職をつけなさい面倒をみてやるぞと説教までしてくれたり
(アレはおいらだったら間違いなく弟子入りしてたな(爆))、
そのくせ興味津々で夜寝るときになったらお話をせがんできたり、
その後、自分も見事に「悪い道」に引き込まれて
夜更かししてはお話を聞いた挙句に村を地中海色に染め上げちゃったりとか
(しかもノリノリでステップまで踏んじゃって(笑))、
村長に見つかった姿はどう見ても修学旅行で見回りの先生に見つかった悪ガキ状態だし、
もー可愛すぎ。最高でした。


・と、一息ついたので、今度はまじめな感想を。
この映画、最初は文革という状況下で知識を欲した若者たちが
耐えられなくなってこっそり本を読んだりしてで、娘が感化されて…
といったよーな、ある意味、単純なスジかと思ってたんですが、
実はそうではなく、結構いろいろな要素が混じり合ってたんですね。

・例えば、まずこれはまるっきり時代背景も生活様式も違うので、
的外れな感想なのかも知れませんが、
やっぱりああいう山村における、土地に根付いた朴訥な暮らし…というものに、
現代日本に生きる我々としては、ある種の憧れのようなものもあるんだよな~、ということだ。
だから、そういった聖域を敢えて知識(自我)を与えることによって壊すこともないんじゃないか、
という思いがずっとあった。
的外れな感想と書いたけど、これは結局、そうして知識を得て、中絶を経て、
自我を得てしまったお針子が
最後に必ずしも、自分自身として旅立った後に
幸せになったのかどうかはわからない。
実は、そのままおじじと一緒に山奥で暮らしていたほうが
幸せだったんじゃないか…という風に、最後にボカして終わった以上は、
あながち的外れでもないのかも知れない。

・ただ、やっぱり「選択の自由」というのも、大事なことなんじゃないかと。
今の生活を全部捨てて、山奥でその土地に入り込んで暮らすということ…に
憧れたりはするものの、それはあくまで自分で選べたら、という話であって、
この物語の主人公二人のように、有無を言わさず強制的に放り込まれるとしたら
それはまっぴらごめんという話だ。

・同じように、お針子も最後に結局「自分で選んだ」上でのことだとしたら、
たとえ村を離れて一人で都会に紛れ込んだ挙句に
生計を立てていくこともままならずにどこかで死んでしまっていたとしても、
あるいはそれはそれで、本人が納得してのことだったら
それは幸せだったといえるのかもしれない。
(何も知ることがなければ、絶対的に見たら
そっちのほうが幸せだったのかも知れない、とは思うけど。)

・と、まあ、こんなことをあのしみじみとしたラストにあたって
ウネウネといろいろ考えてしまいました。
つーか、あそこで27年後…とかに飛ぶのは反則だよねT_T
あんな風に、大人になって、あの頃過ごした村は…とかやられたら
どうしたって泣いちゃうじゃないですか。
そしてその村も水の底に沈むことになるというのがまた泣かせる。
最後のミシンが沈んでいくカットとか、もう完全にやられましたね。
その辺が、ネタバレなし項目のところに最初に書いた柱のもう一本というやつで。
時計が進んだままだったというのもまた泣かせる。

・結局、何か答えを提示したわけでもなく、
ある意味、観ている我々は「主人公たちと時間を共有した」だけの映画ではあったんですが、
しかしやっぱりこのしみじみとした余韻は何とも変えがたいものがあります。
繰り返しになるけど、うーん、やっぱりいい映画だった。

・あ、あと、おじじと周迅ばっかりクローズアップしちゃいましたけど、
主人公二人もちゃんと良かったですよ(笑)

・ついでに公式サイトのプロダクションノートを読んだんですが、
うーん、いろいろとまた検閲云々のくだりやら
中国では公開されていないといった話やらで唸らせられてしまいました。
我々はまるっきり外からこの映画を物語として観ることができているわけですが、
中国というのは、いまもまだ(ここまで極端ではないにせよ)
この映画の世界観からそのまま地続きということなんですよね。
そうそう単純な話ではないのとはわかってはいるのですが、
やっぱり、なんだかなー、と感じてしまうのであった。

  
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