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2008.01.18 画中仙
画中仙
1989年 香港
原題:画中仙



チャイニーズ・ゴースト・ストーリー(倩女幽魂)」は
若い書生と幽霊女の禁断の恋を描いたおはなしであり、
なんだかんだといいながらもその純愛に心を打たれて
彼らを助けることになる道士のおっさんが
嵐の夜の境内で歌いながら踊り狂う姿素敵 とても印象的であったということは
すでに何度も取り上げていますが、

その道士役の午馬(うー・ま)がこの役をよっぽど気に入ったらしく、
後に主演・監督・脚本を自分でやったのがこの映画「画中仙」です。
日本語版は
ジョイ・ウォンのゴースト・ラブ・ストーリー
なんてとんちんかんな副題が付いていますが、
まあしかし見た目の上での基本プロットはかなり似ているので
それも仕方がないのかも知れない。
午馬はこの映画でもやっぱり道士の燕赤霞(名前も一緒)をやっていますが、
「倩女幽魂」のあの人とはいちおう別人です。


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むかしむかしのこと
道士の燕赤霞が山奥の川で入浴をしていると
桶に入った一人の赤子が流れてきた。
赤子は拾儿と名づけられ、道士の子として育てられた。

月日は流れ、拾儿も成長した頃
巷では嫁入り中の娘が妖怪の王・九尾の狐にさらわれて失踪する事件が頻発していた。
ある日、拾儿は妖怪退治の途中に歳の近い旅の書生・崔と知り合い
行き場をなくした彼を自分の屋敷へと連れ帰るのだが、
崔はこの世ならざるものに魅入られていた…
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いやー、これはすごい。感動した。
まさに「午馬の、午馬による、午馬好きのための映画」という感じです。
いや、いちおうあらすじからもわかる通り、
「倩女幽魂」同様に幽霊と人間の禁断の恋…という
表向きの皮をかぶってはいるんですが、それは本筋じゃありません(言い切った)。
これは愛の存在を否定し、人との関わりを放棄して生きていた一人の男が
ひとつの大きな出来事を経て、愛の存在を認めるという話なのだ。これが本筋。
ツンデレ頑固親父萌えを見事にピンポイントで狙い撃たれました最高です。


ひとつの映画としての完成度や見ごたえ、
あともちろん一般受けなんかも考えると「倩女幽魂」には敵わないんですが、
しかし親父萌えとしてはどちらが好きかと言われると、
甲乙つけるのは難しいんだが、
それでもやっぱりこっちのほうに軍配を上げてしまう。
もう午馬最高(笑)

だいたいオープニングからしてコレ↓ですよ(爆)


川でふんどし一丁でじゃぶじゃぶやってるのは
みんなの期待するようなおにゃのこじゃなくて、このひげのおっさん(笑)
この時点で、普通の観客へのアピールは放棄しているとしか思えません。
(いや、私は大好きですけど。)
あともちろん歌いまくりだし(笑)

ハンニャハラミみたいな派手な特殊効果はないんですが、
アクションは洪金寶が監修してます。
これは殺陣や格闘の場面の動きを観ててもわかりますね。
それにしても本当、いまさらですけど
えらいたくさん仕事をこなしてる人ですねー。


ネタバレ抜きでまとめると、
この映画に関してはもうとにかく
親父好きなら絶対観ましょう
としか言えないですね。
レンタルは見つからなかったので買っちゃいましたが、後悔は全くしていません。
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B00005FXJQ/250-3684145-4712261?SubscriptionId=1PGV4GGGAXZ1AMXAKKG2

頑固な父ちゃん役の道士午馬が息子の成長に密かに顔をほころばせる表情とかが
いちいち魅力的で、ひたすらニヤニヤが止まりませんでした。



書生の崔と心を通わせることになるヒロインの幽霊・莫愁役は
またもや王祖賢(じょい・うぉん)が演ってるんですが、
正直、こっちは今回は割とどうでもいいです(笑)
いや、実際ストーリー的にはあくまで主格ではなくて
道士親子が主格と言っても過言ではないんじゃないかな。


以下ネタバレ↓
 


・この映画、かなりストーリー運びは慌しくて雑な感じもするんだけど、
脚本がめちゃくちゃかというと実はそんなこともないんだよね。
ちょっと整理してみようか。

・「愛ゆえに人は苦しむことになるんだから、そんなものは要らない。
人と関わることなど必要ない。」という主張がまず燕道士にあって
(これはいちおう最終ボスと対比にもなってますね)、
それで自分の息子として育てた拾儿(この投げやりな名前も、またいかにも「らしい」(笑))
には徹底して世間と関わらせることなく口を利くことも禁じてきた。
それは、もちろんこの人なりに息子のことを思ってのことだった。

・息子のほうは、それに従って
屋敷の外ではずっと口も利かずに、
みんなから怖がられて暮らしてきたんだけど
町のおもちゃ売りのお姉さんにほのかな恋心を抱いちゃったりして、
それで彼女と仲良くするために何度もおもちゃを買ってた。

・ところがそうこうしているうちに
自分の気持ちを伝える間もなくお姉さんは嫁に行ってしまって、
もうこんなおもちゃを持っていても意味がないと
拾儿はそれらを燃やしてしまおうとした。
けど、結局、崔に愛情を捨てることはないと止められて、
それは思いとどまった。

・んが、この後がやや描写不足(ちゃんと観てればわかることなんだけど)で、
要するに、嫁入りに行ったおもちゃ売りのお姉さんは
その後、道中で九尾にさらわれて、彼女自身も幽霊になっちゃってたんだね。
(町の人たちが看板の前で噂してたのがそのことだったのだ。)
そして、九尾の手先として崔に襲い掛かってきた。

・お互いに正体がわかったおもちゃ売りのお姉さん幽霊と拾儿なんだけど、
お姉さんはもう幽霊になって九尾の言うことを聞くしかなくなってしまっていたので、
拾儿に自分を殺すよう頼んだ。
これは、実際問題として、もう幽霊になってしまった以上は
それしか道はなかったんだけど、
この時に燕道士に「幽霊は殺すしかないと教えたはずだ、殺せ」と命じられたこと、
そしてそれ以前の段階でも、自分の恋心やらなにやらをぜんぜん認めてくれず
一方的に価値観を押し付けられていたということが
ここにきて爆発しちゃったわけですね。
(まさに親子げんかの体裁です)

・その後、結局自分に逆らってでも崔を助けに行くと拾儿は出て行ってしまって、
残された燕道士は一人、「あいつもいつの間に大きくなりやがって」な感じで
しみじみとしていたところへ、
息子が助けを求めて来たので、出撃

・で、いろいろあって
崔は絵の中ででも愛する人と一緒にいることを選択

・最後に燕道士は拾儿を旅に出してやるわけなんですが、
要するにこれもまた愛なんですよね。親子愛。
結局、自分は愛をずっと否定していたんだけど
彼が息子に対して注いでいた気持ちもまた愛。
それ故に、自分の手元にずっと引き留めるのを止めて
逆に息子の望む通りにさせてやる(旅に出してやる)ことこそ愛だとわかったわけです。
やっぱりそのために別れの寂しさは出てくるんだけど
それもまた愛の為せる業であるという…

・というわけで、テーマは「倩女幽魂」と同じ愛なんですけど、
支点の置き方が違うとこうも印象が変わるんだなーというのが、感想でした。
なんとなく余韻が残るところも一緒ですが、余韻の中身もまた違いました。

・中盤のシークエンスで
燕道士は幽霊を成仏させて転生させようとしてたわけなんですが、
別にあれって二人を引き裂こうとしているわけじゃなくて、
そっちのほうが結果的に良いだろうからってことなんですよね。
ただ、若者の目にはそうは映らなかったということか。
これも「倩女幽魂」と同じことを扱ったんですが
答えの出し方はまた別だったというわけですね。
…なんつーか、こっちのほうがよっぽど「倩女幽魂III」のタイトルにふさわしい気がしてきた(^^;

・アクション場面ではやっぱり
「天地無極・乾坤借法!」とか派手なことをやっていた「倩女幽魂」のほうが
見ごたえという点ではありましたね。
最終決戦でなぜか嫁入りの輿をパワードスーツばりにまとってバトルするのには
かなり頭が混乱したというか、
これもこの映画の妙な突き抜けっぷりが感じられて、ある意味良かったんですが(笑)

・あと莫愁の絵に書かれていた
「問世間,情是何物,直教生死相許
天南地北雙飛客,老翅幾回寒暑」の詩は
武侠ファンなら見覚えのあるものだと思いますが、
これは別にアレのオマージュというわけではなく
もともと金代の元好間という人の詩なんだそうです。釈迦に説法かな。

 
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