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倩女幽魂III
1991年 香港
原題:倩女幽魂III 道道道


妖怪退治もの+アクション+ラブストーリーな映画
チャイニーズ・ゴースト・ストーリー(倩女幽魂)の三作目であります。
今回はパート1の百年後が舞台ということで
直接的に話の繋がりはなく、
本来シリーズものでは邪道とされるような
「いきなりこの三作目を観る」といったことも全然問題ありません。
いや、むしろそのほうが良いのかも(これについては後ほど)。

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僧侶見習いの十方は育ての親である師匠・白雲大師と
遠い大国寺へ金の仏像を届ける旅をしていた。
そんな彼らがある時、一夜を明かすことになったのは蘭若寺。
そこでは百年前の戦いで力を失い封じられた千年樹の妖怪・姥姥が復活し、
手下の女幽霊たちを使って旅人を誘惑し、その精気を吸い取らせていた…
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今回はキャスト(役柄)が入れ替えということで
主演は張國榮(れすりー・ちゃん)から梁朝偉(とにー・れおん)に変わりました。
梁朝偉、それほど悪くはなかったです。
観てるとどうしても大○雄のタラコクチビル顔が浮かんできてしまうのはご愛嬌ということで。
ヒロインは役柄は別だけどあいかわらず王祖賢(じょい・うぉん)。
それから今回も役柄は別ですが、前作同様にジャッキー・チェンが出てました。
…この時点で、前作のレビューを読んで頂けている方なら
私の感想がどんな感じになるかというのが
なんとなくわかってもらえるかと思いますが(笑)
でもいちおうこれでもがんばったんですよ?(変なフォロー)

(7/28追記: 2のところにも書きましたが、
恥ずかしながらずっとジャッキー・チェン(成龍)とジャッキー・チュン(張学友)を勘違いしておりました。
この映画に登場しているのは、前作に引き続いて後者のジャッキー・チュンでありますので、
以降の愚痴は全てそちらに対するものであると読み替えていただければ幸いでありますm(_ _)m)

ネタバレ抜き範囲で総評しておきますと、
これはあんまり続編として観るよりも
単一の映画として観たほうが楽しめるかも知れない
…というところでしょうか。

というのも、同じ続編でも二作目は、一作目の補完と言っても良い内容でしたよね。
だからいろいろ文句を言いたいところもあるとはいえ、
シリーズものとしての楽しみ方のニーズに、いちおうは応えていたわけです。

んが、この三作目は
そもそもキャラクターが入れ替えとなっている時点で繋がりは希薄ですし、
確かに時々、シリーズを通して観ているとわかるようなネタも仕込んではあるのですが
あくまで知らなくても問題はなく普通にスルーできてしまうというレベルのものであり、
そしてそれ以上にネックになっているのが、
たぶん意図的になんだろうけど、
かなり一作目のストーリー運びを踏襲してるようなところがあるんですよね。
悪く言うと、観ながら「またこのパターンなのか」と思ってしまう。
シリーズものの宿命ではあるのかも知れませんが、
それにしてもここまで似たような感じにしなくても…と思います。

別に同じでも、キャラクターが違えばそれはそれで楽しめるはずなんですが、
これがどうもやっぱり今ひとつです。
ストーリー運びの問題もあるんだろうけど…
ジャッキーはジャッキーで相変わらずだし。
ほんと引き出し少ないですね、この人。
いや、まあジャッキーはそういう役者なんだと思えば
それでいいのかも知れませんが…(なんか前もこんなよーなフォローをしたぞ)


一作目に比べると多少ハジけた感じがしてエロくなってる王祖賢の幽霊とか、
朴訥ではあるんだけど調子のいいところもある梁朝偉の主人公とか、
いくらか一作目と差別化しようとしているところも見られたのですが
いかんせん、ストーリー運びのおかげでいまいち活かせていなかった気がします。


「総評」とか言いながらだいぶ長くなってしまいましたが、
まとめると
・このシリーズが好き
・この手のジャンルの映画で気楽に観れるものが欲しい
・出てる演員が好き

オススメはこの辺に当てはまる人でしょうか。
ただし一番最初の点については、あんまり過度の期待は禁物です。
基本的にやってることは一作目とほぼ同じなので。
一作目と二作目を足して、三で割った…という感じかなぁ。

以下ネタバレ。


・うーむ…(^^;
今回は、期待しないで観たんですよ。二作目のことがあったので。
いや、いちおうシリーズものとして、気心が知れてるってことで
ある程度の期待はしていたんですけどね。
それはそれで
さすがにそこまで「ぜんぜん世界観が違った」とか
「エンターテインメントしていなかった」とかいうことはありませんでしたので、
そういう点での失望はありませんでした。

・ただやっぱり、完成度がずいぶん下がっちゃった気がしますね。
テーマ性が薄いというか。
まあ基本的に単純な娯楽作品ではあるわけなんですが、
それでもいちおう一作目は幽霊との結ばれない恋だとか、
愛する人に対して自己犠牲という形で示される愛とか、
で、二作目はそんな一作目のフォロー、補完、と。

そんなよーな、基本は妖怪退治でハンニャハラミでズバーンドカーン!という
頭の悪いアクションものではありますが、
「何を描きたいのか」というのはわかったんです。

・しかし、この三作目はどうもそれが感じられません。
何を描きたかったんでしょうか。
何かあったのかも知れませんが、わかりません。
「とりあえず一作目と同じようなことをやってみた」みたいな?
まあ、本来なら娯楽作品ですから、それでぜんぜん問題はないはずなんですが。
でもやっぱりシリーズの続きとして観ると、どうしても物足りなさを感じちゃうんですよ。
うーん、思い出(前作・前々作)が美化されてるというのもあるのかなぁ。

・そして、これはもう本当にファンの人には申し訳ないんですが、
ジャッキーがうざいです(笑)
この男、なんだろうな、ぜんぜん空気を読まないんですよね。
本来なら主人公である十方が悩んだり、考えたりするような場所で
なぜか横にこいつがいてベラベラしゃべくるもんだから
場面における余韻も、主人公のキャラクターとしての掘り下げもできやしない。

・同じような立ち位置だった燕道士(一作目の)の場合は、
ちゃんと物語を通して変化が描かれていたんですよね。
この人はこの人として、少ないながらもピンポイントでしっかりと人物が描かれていた。
薄汚い人間の世に失望していたところで、
幽霊の世界で寧采臣と小倩のまじりっけのないきれいな愛を見て
人間もまだ捨てたもんじゃないな、と助太刀するという。

んが、今作のジャッキーはどうですか?
そりゃ確かに終盤に入ってそろばんを捨てて無償の助太刀を申し出はしましたが、
結局最後まで変わってない気がするんですよ。
あの一番最後のシーン、十方が手を打ってたから良かったものの
骨壷を本当に中身ごと持っていっちゃってたら
まるっきり洒落になってないですよ。

(いや、まあアレは結果があっての描写ですから、
こういう仮定の話をするのはフェアじゃないとは思いますが)

中盤、幽霊が着てるってのに「俺に譲れ」とかウダウダやってるのがウザイのも相変わらず。
本当なら師父がとっ捕まってて大変な場面のはずなのに、緊張感台無しです。
いや、まあこれも、そんな肩肘張って観るものではなく
気楽にそーいうものだと思って観ていれば問題はないんだとは思うのですが。
どうもこういう形で緊張感を切られてしまうと、
観ている側としては劇中の人物に感情移入しづらくなっちゃうんですよね。

・ジャッキーが燕道士(一作目)の追っかけをやってて、
それで道術を身につけたとかいうのも、なんだかなぁ、という感じです。
他の人ならまだいいとして、ジャッキーってのがなぁ(こればっかりは完全に好みの問題ですが)。

しかも燕道士はアレで良かったはずなのに
「家族も友人もなく一人寂しく死んだ」とか余計なこと言わすし…
これもほんとなんだかなー、ですよ。そんな哀れみは余計なお世話って感じです。
なんつーか、一作目・二作目でせっかくやってきたことを
一言で無に帰された気がした、と言いますか…(^^;
あくまでそれは単なる追っかけだったジャッキーから見ての感想であって、
本人は別にそれでいいと思ってた、という風にも普通に考えることはできるんですが、
でも結局この設定って「ジャッキーが金にうるさい」ことについての理由付けのためだけですよね。
あとはシリーズのファンへのサービスのつもりなのかも知れんが…
(ぜんぜんサービスになってないという点は置いておいて)

上に書いたように、そんなジャッキーのキャラも結局ほとんど掘り下げられず
いつものジャッキー以上でも以下でもなかったしなぁ…


・愚痴ばかりになったので、少し話題を変えますか。
今回、後から知ってちょっと驚いたのが、白雲大師を演ってた人って
前作の最終ボス・大仏妖怪の人間モードの姿を演ってた人と同じだったんですね。
もともとそんなに顔をちゃんと覚えてなかったってのもありますが、
髭があるとやっぱぜんぜん印象変わるなぁ。
劉洵って人で、結構いろんな映画に脇役として出てるみたいです。
でもきっと次に見かけてもわからないだろうなー。

・目立った人死が出ずに、めでたしめでたしで終わったのは
シリーズの基本ということでまあ良かったか。
大師が失明してしまったのは若干後を引いたが。
でもそのおかげで、最後に黙ってピョンって背中に乗っかるところはかわいくて良かった。

・そういえばそのつながりで思い出したけど、
日本語字幕で僧侶がずーっと「道士」と言われていたのがとても気になりました。
いや、それ道士じゃないだろ、と。喋ってる台詞ももちろん道士なんて言っとらんし。
とりあえず妖怪退治するから同じだってことで
あんまり考えずに訳してるんでしょうね。
見てて違うのがわかる人ならいいんですが、
そうでない人には多大な誤解を与えそうです。

・あとアクションの場面で「天地無極~!」とか技の名前を言うのはいいんですけど
これ、妖怪側もやるのはちょっと違うよね…

これは道術ってことで術の名を叫んで発動しているという描写なんですよね。
それに対して、本来なら妖怪のほうはもうちょっと、
なんつーかプリミティブであるべきというか、あってほしいというか…
「人間が、常識を外れた力を行使する際の理屈として、術が存在する」のであって、
妖怪は常識を外れた力を普通に発揮できるはずなんですからこんな風な形で
同じように技の名前を叫んで術を発動する必要はないし、しないほうがいいと思うんですよね。
普通に手をあげたら地面が裂けてドガー! 木々がねじまがってズゴー!
それで良かったのに。
(ちょっと言いたいこと、わかりにくいですかね?)
細かいことなんですが、ちょっと気になった。


・まだぐだぐだ続きそうなのでほどほどで切り上げますが、
黒山妖怪への嫁入りの話が出てくるとか、
仲間を前にして主人公を庇う女幽霊とか、骨壷とか、
うーん、ほんと、なんでここまで同じような構成にしちゃったんですかねえ。
それでいて、特に違ってるポイントが引き立ってるわけでもないし。
幽霊のほうの違いなんて本当に最初のころだけで、
結局なあなあな流れでキャラクターの変化も流れていっちゃったし。

・しかも「主人公のアフォな行動(法具ポイ捨て)のおかげで、達人(師父)がピンチに陥る」という
一番やってはいけないことをやってしまった。
これは特に達人側に感情移入していることの多い私にとっては、
主人公キャラクターのイメージダウン効果がかなり大きいです。
(この辺、一作目はかなり奇跡的にバランスが取れていた)

やってはいけないというわけではないんですが、
やっぱりその後、ジャッキーがらみでグダグダするので
結果として劇中人物への感情移入が阻害されることになってしまった。

・仏像も結局、修復した意味がなかったし…
つーか、やっぱり仏像を壊したのも主人公のチョンボであって、
しかもそのことを黙っていたおかげで土壇場で師父が決定的なピンチになったわけで、
これもまた好感度についてマイナスに働いた。
その後、具体的にきっちりフォローがされているわけでもなく
流れでそのまま進んで行ってしまったのも痛い。

・ああ、最後、特に旅の行く宛てがなくなっていたというのは
仏像がおじゃんになってしまったからってことだったのか。
一番最後の結末まで一作目のものを踏襲しなかったというのは
サブタイトルの「道・道・道」が示すように
同じ体験をしても結末も様々、人それぞれ…ということなのかな。

・ループしてくるので、この辺で終わりにしておきますか。
やっぱり文句が多かったということは
それだけ期待していたものも多かったということなんだろうか。
これ単体として見たらそれほど悪くもないはずなんですが…
(完成度では劣るとはいえ)

 
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