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毎度のことではあるのだけど、
改めてこうしてドラマとしてある人物の物語を観た後は、
それまでその人物に対して持っていた先入観というか、イメージが
まるっきり変わってしまいますね。実写の力はスゴイ。


第29集 第十章 呂氏春秋(之三)
~秦始皇帝 奇貨居くべし


異人公子が死去したため、嬴政(えいせい)は13歳で即位することになった。

のぞいたら殺しちゃうんだから☆

呂不韋は仲父となって国政を取り仕切った。
それから八年後、趙征伐に出た嬴政の弟・成嶠(せいきょう)が反乱を起こした。
副将の樊於期から嬴政の出生にまつわる秘密を知った彼は
嬴政は呂不韋の子であるとの檄文を振りまく。
嬴政より処理を任された呂不韋によって反乱は鎮圧され、成嶠は捕えられた。

趙姫は自分の実の子である成嶠の処刑を取りやめるよう呂不韋に頼むが、
一方で嬴政は呂不韋と趙姫が密会するその現場を目にし
自分の出自について密かに苦悩する。

変則型えでぃぷす・こんぷれっくす@@

そして翌日、呂不韋の助命嘆願をはねのけ
さらに趙姫がやってくると知ると即座に成嶠の首をはねてしまった。
悲嘆に暮れた趙姫は王宮から去って行ってしまった。
これにはさすがにこたえた嬴政。
しかし君主は仁義を以って国を治めるべきだとの呂不韋の言葉も
彼にとっては逆に鬱陶しく感じられてしまう。

長安君(成嶠)の反乱には韓・魏・趙も加担していたため、
嬴政は韓に兵を差し向けようと図る。
その頃、用水路の工事を監督する鄭国が韓のスパイであり、
意図的に工事を遅らせることで韓を助けていると捕えられた。
処刑を命じる嬴政だったが、
しかし鄭国の仕事にかける熱意が本物であると知ると彼を助命してやった。
嬴政のこの成長を喜ぶ呂不韋は
つい父として息子の成長を喜ぶ姿を見せてしまい
結果として嬴政から丞相職の罷免、蜀行きを申し渡される。
さらに、呂氏の罷免を撤回するよう重臣たちの嘆願を受け
権勢が増していることを実感すると、
蜀へ発つ前の呂不韋の下へ訪れ、毒杯を煽って自害させたのだった。

どこで間違えちゃったんでしょうか…

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・要するに、今さら言うまでもなく明らかなことなのかも知れないけど
嬴政はこれまでの王様とは違って、「人ならざるもの」になろうとしたのだ。
そのためには父親殺しというのはある意味必然であり
まして自分が十三の頃までずっと賎しい商人出身のさえないおっさんだと思っていた相手が
実は父親だったかも知れないなんていうことがわかってしまって、
その時点でスデにアイデンティティ的に崩壊に近い上に
その呂不韋がママとギシアンしてる場面を目撃なんかしちゃったら
これはもう確定ですと宣告されたようなもので。
それでもなお、ママンに去られちゃったから
心を入れ替えてがんばろうと思っていたところに
今度はパパのほうが年取って情が深くなっちゃったために
つい空気の読めないことをしてしまったもんだから
これはもう削除しかないとなったのだろう。
そういう流れとしては、わかる。

・そんなわけで今回の嬴政は子供時代の三白眼気味のブキミなところを残しながらも
そういった心情の機微を実にうまく表現していたと思う。
呂不韋は自分の父親なのに父親をやってくれてはいないわけだから、
自分もそんな彼を父親としては扱わないということで答えを返したわけだとも言える。

・しかしなんつーか、呂不韋もこうなることはわかっていたとはいえ、哀れだ。
結局この人が欲しかったのはなんだったんだろうか。
やっぱ親子そろって天下の位を究めるってことか。
前も書いたように、結局自分の息子はそうなってくれたけど
「親子」ではなくなってしまったわけで、
うーん、そう考えるとやっぱり繰り返しになるが「半分」成功したわけだな…
同じような「父殺し」パターンとしては「趙武霊王」の章が記憶に新しいけど、
あっちとはちょっと違うからなぁ。
武霊王はもともと息子を育てることが念頭にあったから満足して死んでいったけど、
呂不韋のほうは最期に自分は満足だと無理に納得させて死んでいったようなものだから
同じ死に方でもこっちのほうがずっと悲しい。はぁ。

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