趙が魏斉を匿っていることは、実質的に秦に趙を攻める口実を与えていた。
妻の雲娘に、自分たちの恨みのために他人の血を犠牲にするのは止めるよう
たしなめられた笵雎だが、魏斉への復讐を諦めるつもりはない。
そこで一計を案じることにした。
幼なじみの義理から魏斉を匿っている趙の平原君こと趙勝を秦に呼びつけ、
真相を追究すると同時に、そのままなりゆきで彼を拘禁してしまうことにしたのだ。
昭襄王は事後報告でこの件を笵雎から知らされるが不問に帰し、
十日以内に魏斉を引き渡さなければ平原君を解放することはないと趙へ書簡を出した。
趙から返答の使者としてやってきたのは燕人の蔡沢。
彼は恩義のある平原君を救うため秦に来たのであり、
謀略で人を陥れる笵雎が魏斉と同じ道を辿ると諌め
さらに平原君を解放しなければ笵雎の丞相の地位を奪うと公言してみせる。
魏斉は平原君が捕らわれの身になると魏へと逃亡したため、
秦は出征して魏を攻めた。
ニュータイプですかついに進退窮まった魏斉は一人、逃亡しようとするが…
啊呀、このひと、ぜんぜん反省してないよ!部下の兵に討ち取られて首を咸陽へ送られた。
ようやく復讐を果たした笵雎は約束通り平原君を解放し
兵を魏から撤兵させようとするのだが、
昭襄王には別の目論見があった。
今回の一件で秦の圧倒的な力を天下に示した上に、
平原君を手元に押さえておくことによって
さらに魏、引いては趙を落とそうと考えていたのだ。
もう手遅れだもんね〜蔡沢は笵雎に対する敵意を顕にして必ず丞相の座を奪うと言い放つ。
そして雲娘は信義を違える夫に悲しみながら去って行ってしまった。
物思いに沈む笵雎のところへ鄭安平が現われ、
蔡沢が献じた策が昭襄王に気に入られたと告げた。
笵雎の立場を脅かす者として
蔡沢を早めに片付けてしまうべきだと進言する鄭安平の姿を見て、
笵雎はいつしか自分が指摘された通りに魏斉と同じ道を辿っていたことを悟る。
笵雎は蔡沢に丞相の座を譲ると秦を離れ、魏斉の墓を参り、
最後には雲娘の待つ我が家へと帰り着いたのだった。
この上ないめでたしめでたしT_T----------------------
・途中まではオイオイ、なんで笵雎がみんなから当然のように悪者扱いされてるんだよ
とちょっと苛々したのだが(嫁さんが出て行くシーンでピークに達した)、
限りなく美しくまとまった最後で帳消しになった。
いやー、いい話だったねT_T
(と、単純に騙される私)
実にすっきりと終わって、なんだかこのまま「戦国篇」ラストでもいい気がした(笑)
・でもやっぱり蔡沢やら雲娘やら平原君やらに批難されるのはちょっと頭に来るよな。
こっちとしては、笵雎が味わってきた苦労を見てきて
笵雎には復讐する権利があるし、男としてかつて彼がつかめたかも知れない志を
実現することだって十分良いと思うんだから、
部外者のあんたらにゴチャゴチャ言われる筋合いはないっつーの、みたいな。
・まあ雲娘の場合はいちおう部外者ではないわけだが…
でもなんか祖国祖国うるさい感じはしたね。
この辺は、私があんまりナショナリズムというものを体感しづらい日本人だから
というのもあるかも知れんが。
・昭襄王は笵雎の復讐パワーに便乗していたというところも確かにあるのかも知れんが、
でもだからといって腹黒い冷徹な情のない人だった…というわけでもないとは思う。
必ずしも先を読んでこうなることがわかっていたからというのが動機ではなく、
笵雎の身の上に同情するというところも、もちろんあったんじゃないだろうか。
まあ、とりあえずこのおっさんの話ももっとたくさんあるはずなわけで、
ドラマとしてそういうのを見てみたいという気持ちを
少なくとも感じさせてくれるくらいには魅力的であったね。
・それにしても、魏斉ってやってることはかなりアレな割に
やたらと友達や主君には恵まれてるよね(笑)
うーん、ふしぎだ。
ほんと、順風満帆にやってたところで
まさかこんな風に足元をすくわれてドン底に落ちることになるなんて
考えもしなかっただろうなぁ。
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(08, 8/18追記)
片尾曲歌詞の抄訳(要約?)ができたので、
ついでにこちらにも書き足しを。
やっぱり、改めて歌詞の意味がとれると、本編の内容もだいぶしっくりときました。
歌詞のほうにも書きましたが、「式微式微」
つまり世の中というのは、これまでずっと観てきたとおりに、
結局陽極まれば陰になり、栄華も名声もなんてことはない、相対的なものでしかない。
そんな世の中に身を置いてあがいたりせずに
帰れる場所があるのだから、どうして帰らないんですか?と
そういう歌だったんですね、あれは。
だからこそ、最後にそういった選択をして物語を終え、
平穏を得た笵雎の姿というのが実に美しく感じられるわけです。
これって期せずしてか、前章・田単復国とだいぶ対照的になっているようでもあります。
片方は夢に突き動かされていつまでも歩き続け、
片方は歩みを止めて静かな平穏を得る。
「邯鄲の夢」なんて逸話もそうですが、ここには功名やら何やらを求めてあくせく生きるよりも
静かに世を離れて隠れて暮らすことの幸せというのが描かれているように感じます。
かといって、楽毅のような生き方が魅力がないものかというと、
決してそうとも言い切れないわけで、これはやはり人の性の難しさというやつでしょうか。