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そろそろ終わりが見えてきた頃合だ。


第21集 第七章 田単復国(之三)
~楽毅 五カ国連合の総師


太史の娘に案内されて即墨へと向かう法章は彼女に思いを寄せ、
事が片付いたら彼女を后として迎えたいと打ち明ける。

そんなことやってる場合なのか?!

二人は森の中で迎撃に出ていた斉軍に保護されるが、
同じく思いを寄せる太史の娘に自分の気持ちが届かぬと知り田単は病に倒れた。

田単の異変を悟った楽毅は百里疆に薬を届けさせ、
同時に即墨城内の様子を偵察させた。
なおも包囲を続ける楽毅と燕軍を前にして、
田単は彼を主将の座から降ろさせることを計った。
もともと燕の太子との間には確執もあったことからこの離間の策は功を奏し、
昭王が没すると後を継いで恵王となった太子は楽毅を解任して
代わりに騎劫を主将に据えた。

田単は占い師の進言によって燕軍に即墨城外の斉の先祖の墓をあばかせ
民衆の士気を高める策に出る。
田単の従者・師喬がその役目を自ら買って出て燕軍の陣へ行き
偽の情報を騎劫に伝え、それを信じた燕軍が墓を暴いたので即墨の民は激怒した。
即墨へ送り返された師喬は怒り狂った民衆に袋叩きにされ
最後は自ら田単の刃にかかって果てる。

田単はその後、兵を率いて奪われた城を取り戻し斉を復興させた。

オープニングでいつも気になってたんだけど、おなか出すぎな人がいないですか?@@

やがて始まりの日から十年後、二人は再び枯れ木の下で再会したのだった。

勝手に約束取り付けたのはそっちだろうが~!@@

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・まあ、楽毅が殺されてしまったりしなかったのは、まだ良いんだが…
ハテ、でもちょっと調べてみたら、
そもそも燕を去った後の楽毅ってこんな行く宛てもなく落ちぶれたって感じでは決してなくて、
趙に亡命して諸手を挙げて迎え入れられてるみたいなんですが…
その後、恵王から「すいません、私が間違ってました」みたいなことも言われて
燕と趙の間で客卿とされたとか…
申し分ない、というか、実に幸せな余生を送ってるじゃないですか@@

・な、なんだかなー…と言いたくはあるのですが、
まあ今さら脚色について言っても仕方ないので
ここは頭を切り替えてみると、
要するに結局、大志を抱いて功名を求めた二人ともが
それを成し遂げたとしても、成し遂げられなかったとしても、
心の安らぎを得ることはできなかった、ということが
テーマであり、言いたかったことなんでしょうな。

・それともコレって別に落ちぶれたわけじゃなくて、
史実通りに趙に仕えてはいたものの
当初の燕昭王のような自分を信頼して十全に働かせてくれるような明君とは
結局、再び巡り会うことはできなかった、ということなのか。
確かに、浪人をやっていたにしては
あの場面の楽毅の衣服は整ったものを身につけていたようにも見えるし。
従者もおらずに一人だけというのも
約束を果たすために会いに来たので
人をあえて連れて来なかったという解釈もできるが…
どうも、はっきりとは描写されていないので、なんとも判別がつきがたいな@@
逆に、「あえてはっきり描くまでもないこと」だったといえば
確かにそうなのかも知れんが。

・そういえば楽毅が燕を去るところで
騎劫に「年取って道を知っているこの馬を差し上げます」と言われていたが、
これは同じく前回「年を取って道を知っている馬」を趙の廉将軍からもらっていたことから
燕を去ったあと趙へ行ったということをそれとなく表していたのか、
それとも一番最後に「行くべき道が」どうとか言っていたことから
「馬は年を取れば行くべき道を知るようになるけど、
人は年を取ってもそれを知らずにひたすら行くだけ」
という対比の意味で単純に出してきたのか、
はたまたその両方なのか?

・にしても、法章が結局フェードアウトしちゃったままだったり
太史の娘(名前くらいつけてあげればいいのにね(笑))も
同じくフェードアウトしちゃったままだったり
(まあ田単とは結ばれない運命になった、ってのがわかればそれで十分なんだろうけど)
あっさりとナレーションだけで二つほどイベントが片付けられてしまったり、
最初の期待値からすると、やや構成がいまひとつに感じられたような。
五ヶ国連合ってのもインパクト薄かったし。
楽毅と田単、二人の物語と考えれば
その他の要素は枝葉でしかないわけだから、
確かにいちいち描く必要もないことなのかも知れないけどね。


+++++++++++++++++++++++++
(追記 08, 8/18)

この章についてはだいたい書くべき事は全部書いてはあるんだけど、
ちょっと補足しておくと、
テーマとしてはやっぱり
「手に入らぬと半ば知りつつも、心の平安を求めてなお旅路を続ける人の愚かさ」
なのかなーと。
改めて片尾曲の「黍離」を読むとわかってくるんだけど、
ソレはもうすでに一度、失われてしまったものなんだよね。
失ったものの面影を求めてずっと追い続けてしまう。
ひょっとすると、結果的にそれは自分が求めているものから
自分を遠ざけていることになってしまっているかも知れないのに。
と、そんなおはなしでありました。(というように私は感じました。)

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