衛鞅を信じている公子昴は孟蘭皐と引き換えに和平のため秦陣営にやって来たが、
そこへ届いたのは人質として足手まといにならぬよう孟蘭皐が自害したとの報だった。
ともだちだとおもってたのにね…ショックを受けた衛鞅だが、孟蘭皐の死を無駄にしないためにも公子昴を殺し
魏軍を打ち破って凱旋した。
いえ、ただのやつあたりです孟蘭皐のかつての師である趙良は
あまりにもラディカルかつ厳粛な衛鞅の下に諫言に現われ、
今の国王が病死したら間違いなく衛鞅誅殺の動きが起こるだろうと警告する。
なんか趙博士レベルアップしてるよ@@重病の床にある孝公は大傅・公子虔を呼び後事を託し、崩御した。
どうも史実では足じゃなくて鼻らしいので、この人を責めることはできんな@@太子駟が即位するとはたして衛鞅の屋敷は襲われ、
衛鞅は母・姫娘を連れて二人逃げていた。
しかし官柵を持たないため、自ら法に定めた通り、宿にも泊まる事ができない。
やがて二人は捕らわれ、祭壇にて処刑されたのだった。
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・最後の祭壇の大木を五台の車が引っ張ろうとしている図は
やっぱ「アレ」のイメージ映像なのかなーと思って
冒頭のあらすじに戻ったところ、案の定「アレ」でした(涙)
史実では戦いで死んだ後のことらしいってのがまだ救いですが…
・「やりすぎた」
やはりこれに尽きるのだろうかね…
これだけ徹底して苛烈なことをしたからこそ
この短い二十年という期間で一気に秦は躍進して
この先への下地が強固に出来上がったってのはあるのかも知れんが…
人の心をないがしろにしてはマズかったということよね。
・最近ではさすがにこれだけ多くの偉業と死を観てきた結果として
人の生き死ににいちいち深刻にダメージを受けたりするようなことは
なくなってきましたが、
何と言うのかな、それは人が死んでも後の世に残るものがあるから…
という考え方によって救われるということな場合もある。
で、この衛鞅の場合は、少なくとも彼は死んだとしても
彼が築き上げた変法と論功行賞の制度、国力その他は
かなり具体的な形で秦の中華統一に貢献したわけだから、
そういう意味で気持ち的な救いは
まだ他のパターンに比べるとだいぶあると思う。
つまり衛鞅が死んでも法が死んでいなければ
彼の人生は無駄ではなかったのだから、
そこまで悲しんだり凹んだりすることもない…と考えられるというわけだT_T
・まあとはいえ、
新法賛成言ってる町民を奴隷送りにしたり
公子昴の友情を利用してハメたり
捕虜七百人皆殺し
などなどあきらかにやりすぎだと
観ている方としても感じてしまうような場面も結構あったので
こりゃ仕方ないでしょう…と思えるところも実際あるんだが…
こればっかりは4話かけてずっと観てきて
感情移入もしてしまっているだけに
一概になら別に死んでも悲しくないとはならないのが難しいね。
結局、国(主君)に使い捨てられるパターンなのに
前章の文侯編と比べるとそう感じるのは
やっぱ視点が衛鞅にフォーカスされていたからか。
・趙博士との会話にあるように
やっぱり前回書いたように衛鞅は自分のやっていることをきちんと自覚していたわけで、
このシリーズの中で何度もカットが挿入され衛鞅が自問自答していたように
みんな誰かの奴隷なのかも知れない、という哲学的なテーマが衛鞅編にはあった。
正直、「戦国篇」を観始めたころは「春秋篇」に比べると
そこまで期待はできんかもと感じていないでもなかったのですが
これは意外とそんなこともないかも知れん。