趙襄子は家臣の制止も聞かずに帯刀せず豫讓との決闘の場に現われた。
なおも説得を試みる趙襄子だが豫讓は聞く耳を持たず、
そして豫讓もまた丸腰の趙襄子を切り損ねたまま両者は別れた。
あいかわらず色んな人から熱いラブコールを受ける豫讓さんです国王が自分たちの討伐を周天子に上奏したことを知り、
趙襄子はついに韓氏、魏氏の三家で晋を分割することを決心する。
そんな趙襄子を見極めるべく豫讓は祖廟へ参った彼を観察するが
暗がりから襲い掛かるという卑怯な真似を避けてその場は引き下がる。
仲娥は何とかして豫讓を諦めさせようとするが説得は彼の耳には届かず
豫讓は祭りの場で群集に紛れ趙襄子についに肉迫した。
ばれてーらだが人心を得ていた趙襄子は民衆に壁となって守られ、その圧力に豫讓は戸惑う。
迷いを振り切るかのように抜刀し、飛び掛った彼の前に仲娥が割って入り
豫讓は彼女の遺体を抱えて絶望の中、去って行った。
周天子に上奏した趙襄子は古の権威を鼻で笑い、
半ば強引に趙・韓・魏の独立が認められることとなった。
死に場所を求めるかのように豫讓は物乞いに扮して趙襄子を襲おうとし、
それも適わぬことと知ると
最後は信義を天下に証明すべく自らの死を選んだのだった。
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・というわけで前回書いた通り、今回は最後まで本編見てから
おさらい的に冒頭のあらすじに戻ったんですが…
言ってること、本編の内容とちがくないですか?(笑)
趙襄子は豫讓の心意気に惚れたというよりは
どちらかというと「豫讓を許してやる寛大な自分」を民に演出するために
見逃してやってるような気がするんですけど…
でも案外、砂漠での問答の感じからすると
古い人間だとは思っても、
そんな豫讓に自分を認めて欲しいという気持ちも
多少はあるんだろうか?
・まあともかく、どちらかというと豫讓が一方的に突っかかって
趙襄子はそれを利用しているというような感じに見えたというのは
かなりの部分あると思う。
・で、第一回のところで書いたように
やはりこの第一章の趣旨は
古い時代を象徴するような信義に生きる武士・豫讓と
それに対する存在として
訪れる新たな戦国時代を象徴する実力主義者・趙襄子
この二人の個人の対立を通して、
主君である晋や、そのさらに上、
まさに旧時代の権威の象徴でもあった周天子をもものともしない趙襄子によって
新たな時代が訪れたことが表されていたというわけだ。
・そんな風に象徴化した視点から見ると、
チャンスがあるんだからサクっと殺ってしまいなさいとかいう風にも別に思わず
割と自然な流れとして観ることができた今回でした。
こういう旧時代と新時代の間の価値観、いでおろぎーのぶつかり合い
(先の亡びを知りつつも、あえて古い価値観に殉ずる生き方)という点では
日本の戦国時代の終わり〜江戸時代に入るあたりのいろいろな話とも
共通するものがありますね。
・ただ、三話使ってやった割には
話の密度的にはそれほどでも…という感じがしなくもないかな。
これは、それだけ「春秋篇」のほうの構成が
神がかってたということなのかも知れないけど。
やっぱ頭の切り替えが必要だな。まだいくらか不完全だったみたいだ。
あとは、今回はこれでようやく趙・魏・韓が誕生したので
本格的に戦国時代に入っていくことになるのは次章からになるのかな、
ということもあります。
・さりげなく言及されて流されてたけど
斉でもすでにあの田氏が実権を握ってたりするんだよな…
・「春秋篇」のほうはかなり淡々と、ある一定の距離を置いて
話を描いていった感じがあるのに比べると
こちらのほうはずいぶん作り手が感情移入している感じがある気がします。
まあ繰り返しになるが、この第一章はとりあえずの「掴み」ということで。